川崎競馬厩舎訪問 〜小向トレセンにようこそ〜 2014/2 深野塁厩舎


◇この記事は川崎競馬馬主協会ニュース 2014年2月号に掲載されたものです◇



福島県南相馬市出身の深野塁調教師。
野球好きだった父は四男坊に「塁」という名前を付けた。
「逆転満塁ホームランを狙え」というメッセージが込められているのだという。 南相馬市といえば国の重要無形民俗文化財である相馬野馬追のメッカ。 深野家は18代続く奥州中村藩武士の末裔ということもあって、自宅には野馬追いに出場する馬が4、5頭おり、調教用の馬場もあった。深野調教師は野馬追いはもちろん、 地元の草競馬にも出場していた。そうなれば騎手への憧れは至極当然。 ところが父は猛反対。高校卒業後にはプログラマー養成の専門学校に進んだが、自身はどこか諦めきれず 「一度だけ騎手試験を受けさせてほしい」と直談判。一発試験に挑むと見事に合格。深野家の真後ろにあったのが川崎で調教師をしている大和田明・五郎兄弟の実家で、 父親も大和田先生の元ならと最終的に納得してくれて大和田明調教師に弟子入りすることになった。 
1990年、大和田明調教師がかつて着ていた勝負服を引き継ぎ騎手デビュー。 2006年に引退するまで16年間騎乗。2783戦166勝を挙げた。
「今考えるともっと乗りたかったというのが本音。突然、髄膜炎にかかって減量ができくなってしまった。 頭がガンガン痛んでめまいが続いてね。アメリカまで調べに行ったが原因はわからずじまい。投薬治療で現在は治っているが、当時は騎手を諦めるしかなかった。 いつか騎手をやめたら調教師になりたいと夢はあったが、突然のことで自分はまだ勉強不足。厩務員としてこれまでとは違う馬との関わりを学んだ。 おかげで馬体の作りを見ながら調教したり、飼い葉の調整もできるようになった。田邊先生にお世話になりながら厩務員を経験したことは今思えば大事な時間だったと思う」。   厩務員として5年。2回目の調教師試験で合格したが、厩務員時代には担当したマダムルコントで東京2歳優駿牝馬優勝タイトルを手にしている。  

2010年に39歳で厩舎開業。
「3年目でまだ模索中ですが、自分で強い馬を見つけて仕上げたいですね。今は飼料面の研究に力を入れていて、 13馬房のうち半分以上は自分で調教にまたがっているので、その時々の状態で飼い葉の配分を加減して指示を出します。 厩務員とざっくばらんに馬の状態についてミーティングを重ねながら使うタイミングや使う距離の見極めるようにしています」  

さて、2014年も始まったばかり。今年の抱負をうかがうと、「昨年より多く勝ちたいのはもちろんですが、重賞に出せるようになりたい。大きな舞台に立ちたいですね。 馬主さんが安心して預けられるよう、自分自身ができるだけ動くこと。牧場などにも積極的に出向きたいですね」と溌溂と語った。

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