川崎競馬厩舎訪問 〜小向トレセンにようこそ〜 2015/8 今井輝和厩舎


◇この記事は川崎競馬馬主協会ニュース 2015年8月号に掲載されたものです◇



今井輝和調教師は川崎競馬の三代目調教師というサラブレッドであり、馬主だった曾祖父から数えれば四代目の馬家業。
父は大和田五郎調教師、母は今井輝平調教師(故人)の長女という生粋の血筋で、叔父には大和田明調教師、今井博調教師、中野五男調教師(いずれも故人)という競馬の道を歩むに申し分ない背景に生まれ育った。
「両親が早くに離婚したので祖父に育てられましたが、馬の世界を継いでほしいと言われたことは一度もありません。年の離れた弟のように可愛がってくれた母の弟の博さんからは調教師を目指せと勧められましたが、 競馬より実業家になってレストラン経営がしてみたいという夢が自分なりにあって、大学を出たあとは営業マンをしたり、レストランでコックとして修業していました」と自身の夢に向かって着々と経験を重ねていた。 中学からは東海大相模に進学して野球部に所属し、全国大会ではサードを守って準優勝した経験もある。「基本に忠実にやっていけばある程度のところまでいけるんだと野球から学びましたね。 成績が落ちたら野球をやめるという祖父との約束があったので勉強も必死に頑張ってましたよ」と成績も優秀。まだ競馬は遠いところにあった。

しかし、その血に導かれるように転機は突然やってきた。
「ちょうど20年前になりますが、叔父の博(今井博調教師)が突然亡くなったんです。免許更新試験の会場でいきなり倒れて。お通夜の時に泣いて悲しんでいる74歳の祖父の姿を見たら、 今井厩舎は俺がやるしかないと馬の道で生きていくことを決意しました。不安がる母に向かって、『輝和なら大丈夫だ』、そう祖父が言ってくれたのは今でも心の支えです」。 祖父の輝平さんは戸塚競馬で騎乗し川崎競馬を創世記から支えてきたひとり。孫の決意を見届けるように1997年に引退し2004年に逝去した。
今井厩舎に掲げられている看板は40年前から祖父の厩舎で使われていたものを受け継いでいるという。

祖父の元で厩務員からスタートし調教師補佐を経て2002年に開業。今年で13年目を迎える。
「叔父の今井博、中野五男が急逝したのが調教師として13年目の時。志半ばだった2人のぶんまで頑張らなきゃならないとやってきた正念場の年です。 開業したのがバブル弾けた頃でしたし、リーマンショックで苦しい時もありましたが、できることを一歩一歩進めてしっかり厩舎経営していくしかないとやってきました。 勝負の世界ですから人よりひとつでも多く勝ちたいとガツガツするのも大事でしょうが、馬を持って良かった、ありがとうとオーナーから言ってもらえる時が最高の喜びです。 一人の経営者として尊敬できるオーナー方に恵まれて幸せだと思っています。ここまでやってきた基礎工事を20年目までには確立していたい。子供たちが成人して、祖母が100歳を迎える7年後。 そこで調教師としての自分にどんな化学反応が起きるか楽しみでもあります」と気骨稜々。
11馬房を3人のスタッフと共に切り盛りしている。

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