川崎競馬厩舎訪問 〜小向トレセンにようこそ〜 2016/2 田島寿一厩舎


◇この記事は川崎競馬馬主協会ニュース 2016年2月号に掲載されたものです◇



田島寿一調教師の経歴はとてもユニークだ。
高校を卒業すると公務員試験を受け、横浜市中区役所に配属。 保険年金課で市県民税から保険料を計算する業務を担当していた。お役所勤務と競馬は真逆にありそうなものだが、「公務員をやってみてわかったのは自分が安定を望んでいたわけではなかったこと。安定するより後悔しない生き方をしたかった」 と子供の頃からスポーツ好きで長けた運動神経と小柄な体型を生かせる仕事、そして何より、同じ年齢の武豊騎手が活躍する姿をテレビで見たときに心の根っこが突き動かされた。役所では職場の先輩方にも恵まれ、仕事も順調な日々ではあったが、一方で競馬の世界への転身を模索した。騎手になるための方法がわからず、雑誌で知った故・河津政明調教師に手紙を書いて直談判。 両親は大反対したが迷いはなかった。

22歳で騎手デビュー。
異色の経歴で注目をあびたが、33歳で勝負服を脱ぎ、調教師に転向。
「騎手のときに2度のヘルニア手術をしましたし、身体が硬かったこともあってケガが多く、一年をフルに乗ったことはなかった。 今ふり返って思うと騎手としての適性はなかったんでしょうね」と苦笑い。

開業して14年目。今では川崎の調教師の中でも内田勝義厩舎、高月賢一厩舎に次ぐ31馬房の大所帯。2008年にはヴィクトリーパールでローレル賞のタイトルも手にした。 「重賞を獲れるだろうという素質ある馬たちはもっといたんですが、その前に故障に泣くことが多かった。馬が勝つ方向には向かってもケガをさせないように維持することが難しい。調教師として永遠のテーマですね」。

田島師は毎朝、調教馬場を見渡せる土手の定位置に立つ。その首には5つものストップウォッチがぶら下がっている。
「調教ではコンマ00秒の部分までこだわって計測しています。土手の上から同じ20秒で走っていてもスピード感やどこのコースを通っているかなどを確認。感覚だけで乗っているものをきちんと数値に表して調整する。 レースではコンマ何秒の世界で競走しているわけですからね」というのが田島流スタイルだ。

順調なばかりではない。一昨年には交通事故で鎖骨を骨折する憂き目にあった。
「あのあたりから厩舎も自分自身も転換期を迎えたのか、この2年くらいブレていましたね。 これまでは厩舎の規模を大きくすることを目指してきましたが、理想的な馬づくりをするためならいったん規模を縮小したってかまわないと見直しているところです」と事故の痛みを“怪我の功名”に変えようと試行錯誤しているまっ最中だという。

「競馬には勝ち負けを競う面白みがある。生身の馬ですからそれがうまくいったり、いかなかったり大変なこともありますが魅力ある仕事ですね」と目を輝かす田島師。
新井健児調教師補佐を右腕に、6名の厩務員と共に大所帯を切り盛りしている。

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