「森下博騎手引退特集〜騎手魂の軌跡を追って」

※神奈川県馬主協会ニュース2019年1月発行号に掲載されたものです。 (馬主協会より掲載許可をいただいています)


金子正彦元騎手が聞く川崎ジョッキーズの素顔。Jocky Lifeインタビューの第2回目にご登場いただくのは森下博騎手。 63歳になった現在も矍鑠と騎乗する現役最年長ジョッキーです。


【金子】(朝の調教騎乗を終えて現れた森下騎手に)もう9時になるけどいつもこの時間まで乗っているの?

【森下】今日は1頭乗ってみてほしいっていう馬がいたから長引いたんだけど、毎朝6頭くらいかな。朝3時から乗っているよ。

【金子】今でもパワフルだね。森下さんといえば俺がデビューした頃から活躍していて憧れの先輩でした。昔は競馬のイメージも今とは違っていたと思うけど、騎手になるきっかけは何だったの?

【森下】中学2年の時、榛名湖にキャンプに行って、そこに観光牧場があってね。馬を引いて乗せてくれるんだけど、持っていった小遣いがなくなるまで何回も乗って全部使ってしまったくらい楽しくて。最後は引いてるおじさんに放してもらって一人で乗ってた。

【金子】その時、初めて馬に跨がったの? 

【森下】そう。それからテレビで競馬も見るようになって。美術の六郎田先生がタイヘイ牧場の場長のお兄さんで、誰か騎手になる子がいたらって話があったみたいで、面白い子がいるって場長から井上調教師へと話がつながった。 なりたいか?って聞かれて、なりたいって即答。井上先生が家までスカウトに来た。親父は反対したけど、最後はやりたいなら好きにしろってね。

【金子】井上宥蔵調教師の一門っていったら、すごい先輩もいたし、先生も相当怖かったでしょ?

【森下】朝と夜は先生の家でご飯を食べさせてもらうんだけど、朝なら廊下で正座してあいさつして。調教の話だけならまだしもお説教の時はたいへん。そのまま30分も1時間も板の間に座ったまま。いやあ、しんどかった(笑)。 先生の家に着くと朝でも晩でもまずは靴箱を見て、当時のチョーカーは皮だから、先生や先輩のチョーカーを磨いていた。 「馬に添って乗れば馬がちゃんと教えてくれる」って先生の教え。厳しいけど優しさもあった。

【金子】的場(文男)さん、山崎尋美さん、教養センターでは花の20期≠ニされる中でも森下さんは別格で、森下は50年に一人の天才≠チて話は自分の頃にも教官から聞かされていましたよ。あいつはアブミがなくても姿勢を崩さずに乗っていたって。

【森下】悪い生徒だったけど、馬乗りは面白くてね(笑)。みんなが引っかけられる口の悪い馬がいて交代で乗るんだけど、俺が乗ると引っ掛からないなんてこともあったね。平気で乗ってたから教官がびっくりしてた。 デビューしてからも的場(文男)や山ちゃん(山崎尋美)とはいかにアブミを短くするかで競走してた。膝がポコンと出るくらい短くするのが当時はかっこいいと思ってたからね。

【金子】佐々木竹見さんも本間茂さんもアブミが短くて、川崎は短くする人が多かったですよね。

【森下】今のジョッキーはみんな長い。5センチは違うんじゃないかな。アブミを短くするとジョッキーの負担は大きいから筋力がないと道中もたない。 今はケツをついたりして乗る騎手が多いよね。的場のフォームもずいぶん変わった(笑)。 俺がそれやってるのを井上先生が見てたらビンタが飛んでくる。

【金子】アブミ短くして姿勢を崩さないのは疲れるよね。バランス感覚がよくないと落とされちゃうし。

【森下】俺の親方は、『きれいにかっこよく乗れ』ってうるさい人だったから、それは守っていきたい。今は昔より少しアブミを長くしてるけどね。来年になったら64歳になるんだもん。バランス感覚もずいぶん衰えたもんだよ。

【金子】1973年の騎手デビューから2674勝(1月4日現在)。森下さんといえば先行のイメージだよね。

【森下】デビュー戦は新馬戦でつかまってただけで勝っちゃった。後ろから脚音も聞こえなくてね。4、5馬身離してたんじゃないかな。あとで、かっこつけてるんじゃないって叱られた(笑)。 レースはスタートが一番大事。うまくスタート切ればその馬のいい位置を取れる。馬の首を見て、馬と気持ちを合わせながら集中するんだ。先行にこだわるのは兄弟子の竹島(春三)さんや長谷川(茂)さんの教えかな。「スタートはちゃんと出せ、出遅れたらその馬の競馬はできないと思って乗れ」ってよく言われたよ。

【金子】森下さんって制裁が少ない気がするんだけど。

【森下】レースはスタートして2コーナー回ったら外に出せる位置にいろ、っていうのも井上先生の教え。前にいる馬が強い馬なら内で我慢してる。前いってる馬がそうでもなければ3、4コーナーでたれて前が詰まるから必ず外に出せるように。だからかな。

【金子】重賞もたくさん勝っていますね。資料を見ると33勝。デビューして2年目にシャンタンでキヨフジ記念(現在のエンプレス杯)を勝っているんですね。

【森下】シャンタンで重賞に乗るために減量特典を返上したんだ。勝てるって自信があったから。3、4番手から行って4コーナーでは先頭。最後は頭差くらいのきわどい勝利。仕掛けが早いと叱られたっけ(笑)。

【金子】エスプリシーズも強かったよね。報知オールスターCは大差勝ち。俺が乗った2着のシュイベモアはずいぶん離されてた。

【森下】川崎記念を目標にして報知オールスターC使ったから、調教も6、7分で速い時計を出さなかった。これで勝てないようなら川崎記念で勝負にならんから。脚をはかって大外一気だったね。 川崎記念の時はきっちり馬を作った。負けるとすれば武くんのスターキングマンしかいないと思ってたけど4馬身差をつけて勝った。エスプリシーズは俺が乗った中での最強馬。550キロ近くあるデカい馬だったけどこっちの指示をちゃんと聞く馬で、背中がとにかく柔らかい。跳びも良くて脚捌きが軽いから中央にも挑戦してみたかったけどゲートが悪いからそれは叶わなかった。

【金子】重賞で人気馬に乗るとプレッシャーを感じることも多いよね?

【森下】絶対勝てると思って『楽しくいこう』って自分に言い聞かせて自信を持って乗る。 けっこう正夢を見るんだよ。前の日にレースの展開や馬のことを考えていると夢を見る。エスプリシーズの時なんか位置取りや手応えまで夢で見たとおりの勝ち方だった。ああ、これ夢で見たなって。

【金子】悔しい思いをしたこともあった?

【森下】馬乗りが好きでここまでやって来たけど、ケガで休むのが一番ツラかった。38歳の時のケガの瞬間の記憶が飛んでいたんだけど、事故から5年以上過ぎてから急に思い出した。不思議だよね。 勝負どころの三分三厘で馬が故障して、後ろから他馬が来る方にトモから崩れるかたちになった。頸椎2箇所やって、半年休んで。ヘルメットがあったから助かったんだね。ビックリした顔の金子と目が合ったのを思い出したよ。

【金子】俺が乗った馬に当たった感触がある。よけきれなかった。レース終わって向正面まで行ったら森下さんが動かないからあせったのなんの。

【森下】ケガは怖い。今はレース騎乗もポツンポツンになったから、騎乗が決まったら土手を走ってる。50mダッシュを何回かやったり、土手を上り下りしたり。何もしないで乗ったらバテちゃうからね。

【金子】森下さんから見て、川崎の騎手で巧いと思う後輩はいる?

【森下】乗り方、レース運びがうまいのは今野、山崎、町田。思い切りがいいし、レース判断が達者でその馬に合ったレースをしているから安心して見ていられる。 伊藤(裕人)もうまいよ。姿勢が綺麗でかっこよく乗ってる。チャンスあれば伸びるはずだから、オーナーや調教師がもっと育ててあげてほしい。

【金子】森下さんはデビューから45年。騎乗するたびに日本の競馬界の最年長記録を更新しています。

【森下】今年の5月で64歳だからね。無理が利かなくなってきているのは自分自身が一番わかっている。数は少なくなってもレースに乗るのが楽しくてね。また乗りたいっていつも思う。

【金子】そうそう! 森下さんには一日も長く乗っていてほしい。そして記録に挑戦し続けてください。 


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■森下博(もりした・ひろし)騎手プロフィール

昭和30年5月4日、埼玉県出身
神奈川県騎手会所属。昭和48年11月7日クインミツルで騎手デビューし初騎乗初勝利。
川崎の名門・井上宥蔵厩舎出身で、2年目にして早くも重賞勝ちするなど佐々木竹見さん、山崎尋美調教師と共に川崎の三羽ガラス≠ニ称された。30歳代後半からケガに泣かされたが63歳になる現在も現役騎手として日本最年長騎乗記録を更新し続けるレジェンド。
勝ち鞍成績22,956戦2674勝
2着2,633回3着2,268回4着2,081回5着2,018回着外11,282回
(平成31年1月4日終了時点)

◆2004年 報知オールスターカップ エスプリシーズ◆


◆エスプリシーズで勝利した川崎記念◆


執筆者プロフィール

金子正彦
1962年11月12日神奈川県出身。
1979年11月19日の騎手デビューから16,482戦1,227勝を挙げ一昨年3月に引退。
重賞勝ちは東京ダービー(サイレントスタメン)、浦和記念(モエレトレジャー)、桜花賞(ミライ)、ハイセイコー記念(ソルテ)など11勝。
現在は競馬専門紙等でコラムを執筆している。

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■森下博騎手PHOTOギャラリー

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