HAPPY BIRTHDAY〜!
8月生れ
      
拜原靖之騎手(3日) 栗林信文厩務員(3日) 河津裕昭調教師(6日) 三宅章裕厩務員(7日)
山林堂信彦騎手(10日) 志村直裕厩務員(12日) 田島寿一調教師(14日) 伊藤剛厩務員(20日)
斉藤武夫厩務員(20日) 小竹清一厩務員(22日) 佐藤伸一厩務員(22日) 田辺陽一調教師(25日)
加藤誠一厩務員(25日)
                                         
                 
  厩務員名簿に「小竹清一」という名前を最初に見つけた時には正直驚いた。スイフトセイダイ、カウンテスアップ、ボールドマックスなど岩手で一時代を築いた名ジョッキーだからである。黄色に井桁を散らした個性的な勝負服も印象的だった。騎手から調教師に転向したはずだけに尚更のことだ。「石崎さんからも桑島さんからも、何でここにいるんだよ〜ってビックリされたよ。ムチを置いて平成8年から調教師になったが、いろいろ嫌になることがあってね。5年目に自分から免許を返したんだ。川崎に来たのは去年の11月。共通の馬主さんの紹介で厩務員として内田調教師の世話になることにした。調教師の頃に60キロになった体重が今は52キロまで戻った。もう一度乗れるかな、あはは」。82歳でご健在な父親も騎手だった。今でも馬のことで疑問が沸くと父親に尋ねるという。家族を岩手に残しての単身赴任。早朝からピッチリ調教もこなす毎日だ。「今でも悔しいよ、あのみちのく大賞典は。スイフトセイダイという馬は他馬がいれば動くが入場でも馬がいないとピタッと止まってしまうんだ。そのかわり並んだら負けないし、レースで前に馬がいれば抜くまで追いかける闘志が凄かった。だから相手(グレートホープ陣営)も判ってたんだろうな。直線どこから来ても併せるようにこっちは馬場の真ん中にいるのに、並ぼうとせずスゴイ離れた外からやって来くもんだから併せる間もない。瞬間でも並んだら負けるはずなかった」とジョッキー時代の話になると目の輝きが増す。「カウンテスアップはとても乗りやすい馬で、2歳の時からこれはモノが違うと感じる何かがあった。ボールドマックスはバネがあって乗り心地のいい馬だった。自分からキャンターおろすし。普段は大人しいけど、レースではガラリ変わったよね」。ご存じの方も多いと思うが、スイフトセイダイはみちのく大賞典、東北サラブレッド大賞典など51戦27勝の成績を残しグレートホープと共に岩手を席巻した名馬。カウンテスアップは岩手から南関東に移籍し昭和60年〜62年に川崎記念を三連覇している。ボールドマツクスは川崎の秋山厩舎に所属して戸塚記念などを勝ちその後岩手入りした馬だ。現在の担当馬はシンプウオペラとニセンネンノオトコ。「いろんな人がすすめてくれるしいつかもう一度、調教師試験受けてみようかな…そん時はやっぱり岩手になるのかな」。45歳になった。


 20日に35歳のバースデーを迎える伊藤剛厩務員。北海道は札幌で三人兄弟の長男として生まれた。小さい時から動物が好きで、動物園につとめて世話をする仕事がしたいと想い出したら自分の気持ちを抑えられなくなった。17歳の冬、高校卒業まであともう少しだというのに動物園につとめるために公務員試験を受けた。結果は不合格。それなら牧場で働こうと求人情報を見ていると場所は同じ門別でもホッカイドウ競馬のトレセン三上厩舎の求人。牧場と勘違いして応募したのだ。当時の競馬に対する知識はその程度だった。三上調教師からは高校を卒業することをすすめられ、残りの4ヶ月間は門別から札幌まで通学したという。
 その頃の三上厩舎は北海道でも常にリーディングを張るトップ厩舎。有力馬の宝庫だった。ベストボーイは結果L着であったが、北海道から初めてオールカマーに参戦した。ムサシエンペラーは「一番印象深い馬」というが11連勝し南部杯ではC着と健闘するなど有力馬を担当するチャンスを得て、厩務員として重賞を7勝している。その後、高崎に移ってからもまた高崎菊花賞を勝ったキクカダンディやアラブのサンステルスなどの活躍馬を担当した。「オレは今年で35歳だけど、けっこう流れているから競馬場や牧場などいろいろ経験しているんだよ」という言葉通り、三浦牧場等を経て現在の川崎に至る。現在の山田厩舎では8年目。今はスクオールアトム等を担当するが、「この数年間で日本の競馬は大きく変わってきた。地方から日本ダービー馬を出すのも夢じゃない時代になった。いつか日本一の馬をつくりたい」と志の高い熱血漢だ。
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