〜君★こそが未来の川崎競馬を担う騎手! 〜
今開催でも着実に勝ち鞍をのばし1日1勝ペース!2日目の最終レースでは7番人気のラッキープランを勝利に導き見事<通算50勝目>を飾った。躍進めざましい川崎の若手ジョッッキーNO.1 佐藤博紀騎手にせまる!
佐藤博紀騎手 誕生秘話
小学校時代のクラスメイトを思い出してください。教室を所狭しと駆け回る小さな男子、スポーツ万能で目立ちたがり屋、写真に写る時はいつも真ん中で「ピース!」子供の頃の佐藤騎手はそんな男の子でした。
小学校では野球とミニバスケ、バスケットボールは中学校でも活躍。
「バスケでは足りない身長もラグビーなら自分にもポジションがあるし、殆どの人が高校入学から(ラグビーを)始めるのでレギュラーが狙い易いと思って」高校ではラグビー部へ。この選択こそが騎手・佐藤博紀誕生の瞬間でもありました。
◆佐藤博紀(さとうひろのり)◆ |
1979年6月18日生/双子座 |
血液型 |
山崎尋美厩舎 |
所属 |
A型 |
勝負服 |
白、青のこぎり歯方 |
身長 |
158センチ |
体重 |
48キロ |
足サイズ |
23.5センチ |
好きな
食べ物 |
「キュウリに味噌をつける…」モロキュウ!? |
カラオケ |
演歌、Jポップ、韓国語の曲と幅広いレパートリー |
ファッション |
余りこだわらないショッピングは川崎丸井 |
「工業高校は電機科だったんですけど、もう毎日レポートばっかりで、殆ど全てが数学だった。全然興味持てなくて、、、」得意科目は「保健体育」、就職に有利だと進められて入った高校を辞めて「ジョッキーになる」進路変更の気持ちを顧問の先生に伝えました。
山崎尋美調教師とは御幸中学時代の同級生である顧問の先生は佐藤少年を山崎調教師に会わせました。「ジョッキーがどれだけ苦労が多い職業かを分からせ諦めさせる」為に・・・。しかし山崎師と出会った事で「ジョッキーになりたい!」という気持ちは益々強くなりました。「先生の家に口取り写真とか沢山あるじゃないですか、すっげーカッコいい!と思って。もうこれしかない!と」。元来『目立ちたがり』の少年のヤル気に火をつけてしまったわけです。
負けん気も強さと実行力
高校を辞めた佐藤騎手、のちの所属となる中島厩舎に家から通いで馬の世話をすることになりました。しかし、2ヵ月程経ったある日突然「もう来なくていい」と調教師から言われてしまうのです。「多分、モノにならないと思ったんでしょうね。悔しかった。だから余計に何がなんでも『ゼッタイ騎手になってやる』って思いましたね。」3つ上の姉とのじゃんけんに負けるのも嫌だったという『負けず嫌い』、次々に待ち受ける障害を乗り越え10月の教養センター入所を目指しました。教養センターの受験資格である体重、それは43kg未満。当時の佐藤少年は50kg、「ラグビー部ですからね、プロテインなんか飲まされて筋トレしたりしてたんで。8kg絞るのは容易ではなかったですね。」
親元を離れ群馬県に住む母方の「すっごい良いおばあちゃん」のところに居候し「夜走ったり、食べなかったり」して減量に成功、見事一発で教養センターの入所試験に合格!しかし入所してようやく馬にまたがることになった佐藤少年、運動神経には自信‘過剰’だったはずが「、、、全然思ってるのと違いました。周りは厩舎関係者とか乗馬経験者が多かったし、、、焦りましたね。」
2年間の教養センター生活を順調に終えいよいよジョッキーとして川崎に戻って来ました。しかし、、、レースに乗るチャンスはなかなか巡って来なかったのです。「実際、減量騎手時代は本当にレースに出してもらえなかった。そのかわりか周りの人達が同情からか『ウチの馬、頼む』って沢山調教で乗せてくれました。」
所属調教師の引退から山崎尋美厩舎に移籍、現在に至ります。
現在、川崎リーディングの 13位、今期は騎乗回数は川崎所属のジョッキーでは4番目に多く若手ではダントツ。「今野騎手が言ってたんです、別にお説教とかじゃなくって。〜鈴木先生(今野騎手の所属厩舎)には『調教馬場に馬が出てるうちは厩舎に戻ってくるな』って言われた、と。」この言葉こそが佐藤騎手自身のモットー、「手が空いていれば」どんどんまたがるそうだ。その数は毎朝20頭強。>正直なところ馬一頭一頭覚えてないでしょ?と聞くと「イヤ。顔と名前と全頭分かって乗ってますよ」とキッパリ。競馬サークルでの応援団も多く「自分の担当馬でヒロに重賞取らせてやりたい」と言う人もあり「ホント、騎手の中でも恵まれていると思います」
騎手 佐藤博紀
◆1979年6月18日 横浜市緑区に生まれる〜その後3歳で旭区に転居〜大池小学校〜上白根中学卒業
◆1995年 神奈川工業高校入学。
◆1996年〜春〜 高校を辞め川崎の厩舎に通う〜9月の試験に合格、10月教養センター入所
◆1998年 10月15日(川崎2R)デビュー (中島正治厩舎所属)
◆1999年 3月5日川崎6R、スズスピードで初勝利
◆思い出のレース◆
山崎厩舎移籍後の初レース。馬はゼンノジェロニモ。「新聞は上から下までグリグリ◎の本命で、、、。すっごい緊張して、、、。ゲートで突進して(ゲートから)出ちゃって。走り出したら4コーナーで鞭落としちゃって、で、レースはハナ差で勝った。帰って行ってすごい叱られたけど、何から何まで記憶に残ってます。」
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今年の目標は「南関東で20勝」、9月8日現在14勝、目標が低めでは?との問いには「イヤ、以前は川崎の中だけでの戦いでしたけど今は南関東の騎手が大勢(川崎に)乗りに来るので。的場さん、桑島さん、そういう人も相手に戦うわけで、20勝も出来るかどうか。しかも競馬場の閉鎖で移籍してくる人もいて、、、必死ですよ。」オフにはスポーツクラブへ通いマシーンでの下半身強化に余念が無く、最近は「河津先生のガレージに『木馬』があって首差しが動くようになってるんですよ。フォームとかバランスとか研究しています。」と馬一色の日々。調教が終わっても厩舎で装蹄や獣医師の傍らで『馬』を見る目を養う。レースの結果はビデオでチェックし「漠然とではなくイメージトレーニグもしてレースに臨む」と研究熱心でもある。その努力は今期徐々に結果に現れ始めている。
目標はジョッキー時代の山崎現調教師。「女の人にもモテるし(笑)フォームも綺麗だし、ただ勝つだけじゃなく見せるレース、ああいう風になりたいですね。」
「とにかく『勝ちたい』ただそれだけです。勝負事ですからね。どんなレースでも『勝ちたい」です。」6月に遠征した益田でも2勝を挙げガッツのあるところを見せつけた。「小さい頃、父親と将棋をやってて、負けるんですけど『もう一局!』って勝つまで粘って、、、ホント負けるの悔しいし、嫌なんです」乗り鞍の多さを勝ち鞍につなげたい。来月で5年目を迎える。
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