〜12月1日付で「田島寿一厩舎」「今井輝和厩舎」が開業〜
  

川崎競馬に新たな風。30代の若い調教師が二名誕生、晴れて12月1日付けで厩舎を開業した。ファンの皆様声援よろしくお願いします!

田島寿一厩舎

  田島寿一調教師・33歳。11年間の騎手生活から調教師に転向。長けた運動神経と恵まれた体格、また同い年の武豊騎手が活躍する姿をTVで目のあたりにして騎手となった当初から「調教師になる」、という事を大いに意識していたと言う。高校卒業後は2年間横浜中区役所に勤務した異色経歴の持ち主で、騎手になるための方法が分からず雑誌で知った故・河津政明調教師に直接手紙を出した事が競馬社会への第一歩であった。のちに師匠となる河津政明調教師の存在は今でも大きいと語る。騎手時代は怪我との戦いだった。「大切なのは『心の問題』『意識』。この世界結果が全て。だから新規開業する今ではなく半年後、一年後の『結果』を見て欲しい。」言葉の端々に厩舎開業までの半年間全国中を駆け回って手にした自信のようなものが見え隠れする。馬の仕事には時間も手間もかかる。かければ経費もかさむのだがそれをかけずにやって行きたいとも。「今は種まきの時期。大変だけど・・・一年後を見て下さい。」スタッフの加藤誠一厩務員と一人何役もこなす日々である。
現在、オンワードブラッド(牡3)・ウインターガーデン(牡2)とウエスタンワンダー(牝2)が入厩中。



今井輝和厩舎

 今井輝和調教師・32歳。中野五男厩舎調教師補佐から転向。野球を志して東海大相模中学校へ進学。言わずと知れた現読売巨人軍原辰徳監督の母校である。しかし名門がゆえ早い時期に野球を職業とすることを断念したという。今でも野球は生活の一部、話の節々に野球の比喩がちりばめられる。調教師として名監督は?との質問に元巨人軍監督の藤田元嗣氏を挙げた。大学卒業後は販促会社の営業マンとして実業家になるという夢を追いかけていたが叔父である今井博調教師の急逝を機に競馬の世界に飛び込んだ。親戚に厩舎関係者も多く今井輝和調教師は三代目となる。開業までの半年はあえてどこにも出ず厩舎内で過ごした。馬も人間も同じ生き物、馬だから、と凝り固まらずに肩の力を抜きバランス感覚を持とうという姿勢が伝わる。例えば冬が寒いのは人間も馬も同じ事。だから陽があたる時間に仕事をして日が暮れる頃終わるのもよし、逆に冬だからと言って陽だまりの中で馬着を着ている馬は暑かろう、と言った具合に。そこに気付くには絶えず目を凝らしていないといけない。それは厩舎の長としてそれは当然の事と話す。
「あたりまえのことをあたりまえにやっていればあたりまえの結果が生ずる」禅問答のような言葉だが、力まず奇をてらわず丁寧に柔軟に取り組んで行けば勝利は自ずとついて来る、という解釈でいいだろう。
スタッフは中野五男厩舎から三浦厩務員・須山厩務員、そして小宮山厩務員の3名。

(2002/3月号)
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