☆町田直希騎手がデビューします☆ | ||||||||||||||||||||||
「一般の家庭で育った子なのにまるで厩舎で育った子みたいなんだよね」と秋山重美調教師。町田騎手のお父さんは地方公務員、お母さんは会社員とごく普通の家庭の3人兄妹の真ん中で育った。 そんな彼が騎手を志したきっかけは競馬好きのおじいちゃんの家に遊びに行った際いつも一緒に観た中央競馬の中継だった。馬や騎手の名前は覚えていないけれどテレビの中のレースで「かっこいいな、騎手になりたいな」とふと思ったのは小学6年生のとき。でもそのときは思っただけで中学生になってからは野球部のライトで野球少年の日々を送った。 「騎手になりたい」という心の奥に眠った夢が目覚めたのは進路を決める中学3年生のとき。「勉強嫌いで運動好き、体も小さかったから騎手になりたいと思った」という。まず、学校の先生に相談したけれど地方教養センターの資料を集めてくれたのはほかならぬ両親だった。 教養センターに入って1年が経とうとする頃、所属する場所を決める時期が来た。最初は地元の栃木県宇都宮を希望したものの「廃止」の話が出始めていたため断念。 川崎への道しるべは佐々木竹見さんだった。月2回講師として模擬レースを見ながら指導に当たっていた佐々木竹見さんが「川崎に行きなさい」と勧めてくれたのだ。偶然にも川崎の田邊調教師の奥様が遠い親戚だったこともあって川崎を希望した。 教養センターでは81期生。卒業供覧レースでは2着だったが、優勝した岩手の高橋騎手に対してもライバル意識はないという。9人いる同期とはライバルではあってもそういったことをまったく感じないくらい仲がよかったらしい。 今開催の初日第6レースで初陣を迎える。勝負服は「黄色一色」。本人は「今野騎手に憧れているので今野騎手の色違いの青にしたかった」そうだが秋山調教師の鶴の一声で「黄色一色」に。なぜ?と先生に聞くと「本当は赤一色がよかったんだけどね(笑)。佐々木竹見さんが攻め馬のときでもいつでも赤の無地のジャンバーを着ていてどこにいてもわかるくらい印象深くて。だから印象の深い騎手になるよう黄色一色がいいと思ったんだ。黄色は信号で注意の意味のある色、この騎手には注意しろって意味もこめてね」。本人も今では「アピールどんどんしていかなきゃいけないし今では黄色一色でよかったと思っています」と早くもプロ意識 普段はレースを見て勉強したり、好きな音楽を聴いて過ごしているそう。J−POPの新曲は必ずチェックして最近お気に入りはケツメイシだとか。 秋山調教師はとにかく町田騎手をべた褒め。「デビューのときの今野によく似てる。天性のセンスが備わってる子
本人の目標は、「まずは山崎騎手のようになりたい。追いつくことができたら今野騎手のようになりたいです。とにかく積極的なレースがしたい」。 話している間も笑顔を絶やさずとにかく人当たりのいい屈託のない明るい少年。まだあどけない感じはあるけれど芯はしっかりある印象の町田騎手。 夢に向かって今、一人の少年が川崎の空に羽ばたきます! |
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